愛犬の急逝に思う犬猫のペットがもつ価値、人にもたらす影響

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1月早々に、愛犬が亡くなってしまったので感想を書きます。

愛犬の急逝に思うこと

名古屋の実家に2泊3日で帰省、親、兄姉家族が集まり少し遅い正月の会を行う。

私千葉に戻る前日、実家で飼っているラブラドールレトリバー「ルナ」(12歳)の体調が急変。

私、母が看取る中、あっという間に天国に旅立ってしまった。

一番面倒をみていた、母の手の中で声を掛けられながら。

突然のことに戸惑いつつも、徐々に感じる実感。私、母は悲しみに暮れる。

私と母で小屋からルナを引っ張り出し、棺桶となる箱に動かす。

1時間前まで生きていたのに。信じられない。まだ温かいのに。

父が帰宅、父は声をかけながら花を添える。

翌日私は千葉に戻ったが、父母でペットのお寺で燃やされ、供養された。

ここ1週間、体調悪くなっていたのは事実だが、急変してから数時間の出来事。

見方を変えれば、ルナは極力苦しむことなく、そして介護になるなど私達に迷惑をかけることなかった。

正月のバタバタが終った直後、私含め兄姉家族にも会い、そして母が在宅しているそのタイミングで逝った。

避けることのできない命の終わりにおいて、理想的な最後だったのかもしれない。本当に良くできた子だ。

ただ、12歳、十分命を全うしたとはいえ、もう2、3年は一緒に過ごせると思っていた。

ペットを飼った人が思うこと

ペットを持たない人は、好き嫌いや大変さという理由のほかに、いなくなった時に悲しいからという理由を多く聞く。

私の実家は30年間常にペットがおり、犬、猫、猫、今回の犬と多くのペットと過ごし、そしてお別れをしてきた。

どの別れも悲しく、つらい。

でも同時に思う「感謝」。

向こうに選ぶ権利はなかったのだけれど、家族になってくれてありがとうという気持ち。

生きている間にもらった喜びや感動。それは何事にも代えることはできない。

ペットのお寺に行ったとき、色んな家族のペットの写真、コメントが書いてあった。

そこに並ぶ言葉は「つらい、悲しい」といった言葉よりも大半を占めるのが「ありがとう」だった。

私同様にみんな同じような気持ちになっているんだなと共感した。

ペットがもたらすメリット

ペットを飼うことは大変の連続だ。

お金もかかるし、場所もとる、自由に外出できない、手間もかかる。にも関わらず、お金的な見返りは全くない。

でもお金ではないプライスレスな価値がある。

犬がどこに行くにも人を疑うこともなく付いてくる。隠すことなく愛情をぶつけてくる。犬が見せる忠誠心。

猫が安心して私に体を預けてくる、警戒することなく私のあぐらの中で寝る。

人が辛いとき、困難な時にもペットは変わらず人に接してくれる。それがどんなにありがたいことか。

命を預かる責任感、この子たちのために仕事も頑張らなければいけないとモチベーションともなる。

ペットの存在が、人に喜びを与えメンタルの維持への貢献度は計り知れない。

命の限りが優しさを生み出す

そして必ず来る「別れ」。

私がこの別れが人へ与える影響が一番大きいのではないかと思う。

5年、10年と短くない時間を共に過ごすペット、正直遠い親戚以上の身内だ。

そして命の終わりを経験することになる。実際に身近な身内がいなくなる衝撃を理屈ではなく感覚で知る。

誰もが命について理解していても、理解と目の前で起きて経験することとは雲泥の差がある。それくらいの衝撃。

そういった経験をした人は、本気で「命」について考える。命はいつか終わるものだと。

ペットがいなくなったときに、少なからず「あぁしておけばよかった。」「もっとこうすれば良かった」という自責の念にかられる。でもどうすることはできない。

何かすることができるのは「生きている存在」のみにだけと痛感する。

だから、ペットを飼った人、失った人は、人・動物といった命あるものに優しくなることができると思う。

現に私も高校1年時に最初の犬がいなくなったが強く後悔し命の大切を感じ、人・動物に対する接し方・考え方に影響を与えた。

だから、つらく悲しい思いを何度もしてきたが、もし私に家族ができたならば、やはりペットを飼いたいと思う。

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