酒が飲めない劣等感を持つことはもうやめた。自分に合った環境を!

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酒について考えてみます。

酒が飲めないというコンプレックス

私の大きなコンプレックスとして、体質的に酒が飲めないというのがある。

ビールやチューハイならコップ半分ほどで、もう無理って感じ。テンションは落ち、翌日まで頭痛や倦怠感が続く。

飲み会などでもよほど強要されない限り、飲むことはまずない。

経験として、酒が飲めるか飲めないかなら飲めるほうが絶対いい。これは紛れもない事実。

付き合いの幅も広がるし、深くもなることもできる。「飲みに行こうぜ!」というのは本当に便利な交流の仕方だ。

地方や海外に行ったときに必ずあるのが地酒。これも楽しむことができる。

さらにそういった経験は話題の幅も広がる。「あのワイナリーはさ~」みたいな。

何よりもハッピーに見える。私には分からないが、あの気持ちよさそうな感じ。

理想は酒がなきゃだめってほどでもなく、飲もうとも思えば飲めるし美味しい感じるくらいがちょうどいい。飲むことも、飲まないことも選択できる人。

酒が飲めないことが辛かった

これには本当悩まされ続け、酒飲みの飲み会だと辛かった。

まず酒が飲めないということで、会話の主導権は取れない。

私は結構話すほうだが「なんで飲まないの~?」と会話を振られた時点で、会話が劣勢となる。

そして飲める人から、優位に立ちたいがために悪意のあるイジリを受けたり、悪意のある優しさにより肩身が狭くなる。

これは学生時代も社会人になっても、こういった傾向が続いた。だから、飲めないことは「はずかしいもの」という概念があった。

だから、学生時代は一生懸命改善しようとした。毎日少しずつ飲んだり、バイト上がりに飲む練習したり。

でも酔いつぶれ、電車乗り過ごしタクシーで帰ってその日のバイト代パーになったり。泣けた。

結局何してもダメだった。何よりも時間がもったいなくてアホらしくなった。

世界に目を向けて考えは変わった

それが最近はその考えは変わってきた。酒に強くなったからということではない。

30歳からシェアハウスに住んでいるが、いろんな外国の人たちと接してきた。

彼らが全員飲むわけではなく、たとえばイスラム教の人は豚も食べないし、酒を飲むことも禁じられており飲まない。

宗教の理由だけではなく、考えによってベジタリアンだったり禁酒を実践している人もいた。なお、トランプ大統領も酒を飲まない。

彼らが飲み会で恥ずかしいと思っているかというと、もちろんそんなことはなく不便だなぁと思うこともあるだろうが堂々としている。

周りも強要することないし、「個人のことだからね」ということで最初にそのことが分かっていれば話題になることもない。

そういった経験を経て、私の場合は体質なので自ら選んだわけではないが別に飲めないけどなにか?位でいればいいのかなと。

要は人はそれぞれなので、無理やり自分に合わない環境に合わせる必要はまったくない。

だから、飲んでx2 それこそ漢(オトコ)なり!みたいな飲み会にはもう行かない。

きっとお互い不幸だと思う。彼らは飲むことが目的でそれに答えれない私は申し訳ないし、彼らも”なぜ?”となるわけだから。

そんな飲み会もこの年齢になってくると減ってきた気もするけど。

たまに「毎日飲むと強くなるんだよ」とか「営業マン飲めなきゃだめだよ!」とかアドバイス?をされるが、「ふーん」である。

飲めないことを気にするより、補うことを考えるべし

飲めないことを悲観するのではく、それを補うものを考える。

飲んでる時間が少ない分その時間は何かに使えるわけだから、それを活かすべき。いろんな経験や知識を増やして、多くの話題を提供できるトークができればいいと思う。

さらに飲む人が主体となる”土俵”に無理に上がる必要はない。自分に適した土俵を探せばよい。

例えば恋人を探すのに、飲む人が主体となる「合コン」に行くことは私の土俵ではないので常に劣勢に立たされる。

であるならば、そこに無理に行くよりも「お料理教室」とか「ランニング同好会」といった趣味を活かす場所へ行くのが私の土俵といえる。

酒が飲めない分、何かと頭を使う機会が多いので今となっては良かったのかとも思う。酒に逃げることがないので。

アラフォーでも若く!酒、タバコ全くダメだけどアンチエイジングだ

2017.08.16

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