若い時の挫折体験で、今も諦めないマインドを持ち続ける!

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中村です!高校時代の部活の話をしよう

高校から始めたサッカー

私は高校に入りサッカー部を選んだ。中学まで柔道をやっていたので、全くの畑違いでの挑戦だ。

理由は、Jリーグ効果と、真剣に取り組めそうな部活だったから。

サッカーの部活経験のない私は当然アディダスとかのジャージや、スパイクを持っておらず、学校の体操着にリーボックの白い靴という初心者丸出しで部活に参加したのだった。

体操着がピンクだったため、そういった初心者は「ピンジャー」と呼ばれていた。

部活に入部してからは、休みは日曜のみ、毎日毎日、走ったり蹴ったりの繰り返し。

同じ時期に入った初心者組も半分くらいは辞めてしまった。

しかしもともと、そういった辛い環境を経験したかったので、苦だったが、やめるつもりはなかった。

そして半年が過ぎ、1年が過ぎ、なんとかなんとか必死に食らいついていった成果もあり、初心者ではない技術と体力を身につけることができた。

確かな手ごたえを感じていたが、、

高校2年の5月、3年生が最後の大会敗退後引退となった。いよいよ我々の世代。

3年生がいなくなるので、当然それまで試合に無縁だった私も可能性は出てくる。

この頃から、私はレギュラーになるという目標を持って人一倍の努力を始めた。

練習をサボらないことはもちろん、練習後 夜の公園に行き、シュートの練習、ドリブルの練習、日曜や連休は朝から夜まで公園で練習をし続けていた。

もちろん、人生でここまで何かに打ち込むなんて初めてだった。

ただただ、夢中でサッカーのことしか考えていなかった。

そして、2年の夏からその成果が出てきて、強いシュートを打てるようになり、思ったところにセンタリングを上げれたり、それまで上の存在だった経験者組をドリブルで抜いたりということが起きだした。

このままいけばレギュラーになれるかもしれない、そんな確かな手ごたえを感じていた。

2軍の試合でも点を決めることが増え、レギュラーが遠い存在ではなくなっていた。

しかし、2年生の9月、いつものシュート練習の際、左足の少し足の先あたりで蹴った瞬間、足首に今まで経験したことのない痛みが走った。

人生で大きな怪我をしたことがなかったので、何が起きたか分からない。とにかく痛くてボールが蹴れない。

それは靭帯の損傷、いわゆる捻挫だった。

でも練習を止めるわけにはいかないと思い、左足をかばいつつ右足だけで練習を続けていると、右足にも激痛。

なんと、私は両足首とも、靭帯を痛めてしまったのだった。

充実した毎日が崩れる

1年半年、休みなくボールを蹴り続けていた私の足は気づかないうちに疲労の限界に達していたのだった。

その時、ようやく成長の軌道に乗ったと思っていた私は、休み続けることはできない。

1日、2日休んで、無理して練習に参加、また傷めるという、負の連鎖に陥ったのだった。

もしかして、初めて怪我をしたとき、しっかりと休んでいれば完治していたのかもしれない。

ボールが蹴れないほどひどいときは、走るだけのときもあった。その靭帯は走るのとは無関係な箇所なので。

陸上部でもないのに走り続けた。焦りと戦いながら。ただただ完治することを祈って。

しかし、ある一定のところまで痛みがなくなっても、私の足は完治することはなかった。

悲しいことにもう靭帯が弱くなっていたのだった。今現在もその箇所を伸ばすと痛い。

それを悟った私は、高校3年となり最後の大会に向けて、完治することは諦め怪我を抱えつつ部活を続けた。

しかし、ごまかしごまかしやって、通用するほど甘い世界ではなかった。

高校3年の5月最後の大会、私は補欠としてユニフォームはもらえたが、地区大会3回戦 延長戦の末敗れてしまったとき、僕は試合に一度も出ることなく、その終了のホイッスルをピッチの外で聞いたのだった。

試合に出た選手は、泣いたり、落ち込んだり、それぞれの感情を爆発させていた。

しかし、私はそういった感情になれなかった。全く自分を出し切ることができなかったから。

怪我さえなければ、足に痛みがなければ、何百、何千回思ったことです。でも終わってしまった。

ただただ、むなしくて、やるせなくて、やり場のない思い、そんな感情だった。

これが私の人生初めての挫折だ。高校時代の大半を費やした部活で成果を出すことができなかった。

挫折の先に待っていたもの

その大会を最後に、3年生は引退。毎日練習した部活も全くなくなってしまう。

その時、私は初めて大学進学ということに目を向けるようになった。

私の高校は偏差値50ほどの本当に普通の高校で、進学する人が比較的多いかなという感じ。

その高校も自分なりに背伸びして入った高校だったので、テストも、200人ほどの文系クラスで毎回170位ほどの成績だった。

サッカー部でのレギュラーになる夢を失った今、私のやるせない気持ちを向けるところは勉強しかなかった。

引退して間もなく、誰に言われるわけもなく、私はもくもくと勉強を始めた。

部活と一緒、毎日毎日。たぶん、サッカーでの失敗を忘れたかったんだと思う。

何かしていないと、思い出して悲しくなってしまうから。その意味では勉強は良かった、勉強ではそうそうケガすることがないから。

努力したいのにできない、それが一番辛いことだ。

 

そして3年の夏が終わり、秋になり、11月の学年テストの結果が出た。

その結果がなんと、学年3位の成績だった。160人抜き。周りもびっくり、先生もびっくり、親もびっくりだった。

そりゃ全然勉強できなかったサッカー小僧が、いきなりそんな順位とれば驚くよね。

私は一気に勉強できる人という目で見られるようになった。

ちょっと感じ悪いヤツだが、私は思いがけず勉強という面で輝くことができたのだ。

サッカー部で補欠の私は、勉強ではベストイレブンに入ることができたのだった。

なお、当時の担任の先生は、私のことを美談として語り継いでいるそうだ。

5年後くらいに同じ高校に入った親戚のコが私の話を聞いたとのこと。これにはオチがあり、この後 私は思いっきり大学受験失敗するのだが、そこは話されていないのだろう。

なにが言いたいかと言うと、勉強する気になったのはサッカー部を必死にやったからだし、サッカーが駄目でも他の分野では目をひくような能力を自分は持っているかもしれないということだ。

サッカー部の経験は初めて必死になり、挫折し、その後駄目な自分に少し自信をくれた出来事だった。

だから何事も挑戦は無駄じゃないって今でも言い聞かせている。

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